実家から野菜やら味噌やらが送られてきた。
昔は「身体にいいから薬だと思って食べなさい」といわれていたこれらの田舎飯。
今ではとても貴重な美食だと心から思って口にするところに、しみじみと自分の年を痛感する。
ちょっとすっぱいたくあんとか、自家製味噌とか、店にありそうでない素朴な食材。
その手間を考えると自分で作ることなんて気が遠くなるから、余計に祖母と母のかさかさの肉厚の手のひらを思いながらその味を噛み締める。
_ 確かにお店で買ったものは美味しいけれど、家庭の味には格別のものがあって、親と離れて一人暮らす時間が長くなればなるほどにその味の美味さを噛み締めるようになる。
たまに実家に帰ると、お客さん(つまり娘の私なんだけど)向けの豪華な夕食よりも、朝ごはんの味噌汁だとか昨日の残りの煮物だとか、日頃野菜不足なんじゃないかと私だけの為に用意されるおひたしなどといったものの味が暫く忘れられなくなる。
それは単に慣れ親しんだ味だからというだけではないだろう。
_ 味覚は主観的なものだから辛いとか甘いとかいった「味」以外の様々な外的要因の影響を受ける。
改めて言うようなことでもないけれど、やぱり食事というのは、レストランでの外食を内装やサービス込みで味わうの同じで、作った人の「気持ちを食べる」部分が大きいのだと思う。
女性は男性よりも他人に食事を作ってもらう機会が少ないから、余計にそんな機会を嬉しく感じるんじゃないだろうか。
大抵の動物が親から餌を与えられて大きくなる。だから食べ物を与えられるというのは子供の気持ちに帰ることができる手っ取り早い儀式なのだ。
私は友達が例えばむいて渡してくれるリンゴを口にするだけで、胸のあたりがほっこりするようなむず痒いような幸せでいっぱいになってしまう。
_ オトコを料理で落とすというけど、案外女も料理で簡単に落とされる・・・かもしれない。
最近仕事でものすごくエライ人にお茶を出す機会が多いのですが、私ったらちゃんとした社会人教育も受けたことないし、がさつな家の出なもんで、いつも身のすくむ思いをしております。
そして下げにいくと、大抵ものすごくエライひとに限ってその粗茶を飲み干してくださってたりして、そりゃもう恥ずかしさに消え入らんばかりです。
という訳でネットで美味い茶の煎れ方を検索して学習してみました。
(しみじみ便利な世の中になったもんんだ。)
その結果判明したことは、私ったらやっぱり根本的にお茶の煎れ方間違ってたのね・・・というショッキングな事実。
会社で出すのは上煎茶なのだけど、これは少しぬるめが良いんですって。知ってました奥さん?
私しゃ熱々が美味しいと思い込んでましたよ。
はぁ・・・やっぱり常識なしだなぁ。
日記には書かなかったのだけど今年の春、また京都旅行してました。
その時初めて祇園の名物となってる「都路里」の抹茶パフェを食べたのですが、世間に出回る「緑なんだから抹茶だろ」程度の抹茶モノ菓子にしかなじみのなかった私の
予想を大きく裏切る抹茶再発見。特に抹茶ゼリーのモチモチした食感と風味が最高。
あまりのうまさに、それまで「抹茶味のものってなんかイマイチ」と思っていたのに、いきなり抹茶味大好き!になってしまったほどでした。
あの味、京都まで行かなきゃたべられないのね・・・と寂しく思っていたのですが、たまたまネットで探し物をしてたらカレッタ汐留に出店していることを知りました。
わーーーい!
東京に住んでりゃ大抵のものが手に入るなぁ(笑)
_ なんか今日はえらい気の抜けたサイダーみたいな日記になってしまいました。
さてとアボンリーの最終回観なきゃ。